かいまなママの自己紹介//

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初めまして!ママ風呂、執筆者のかいまなママです。

このページでは正看護師として働くワーママ、私かいまなママのこれまでの自己紹介を簡単にしたいと思います。

中学生時代

平成5年生まれ 鹿児島県に生まれました。

性格はまさに男勝り(;^ω^)

いじめが嫌いな正義感の強い子供でしたが喧嘩をすると相手が誰であろうと容赦はなく、私には勝てないと思ったのか、しまいには4つ下の弟にまで手を出されてしまったことがあります、、

ちょっと野蛮でした、、(-_-;)

母が看護師でいずれは私も看護師になるんだと何となく夢だと語りながら中学生になり、中学1年生のころに祖母が子宮頸がんと診断されました。

その頃まだ中学生だった私は、癌って言っても治るんだよね?位の認知しかしておらず、部活にのめり込みろくにお見舞いにも行けていませんでした。

部活の合間に数回は祖母の顔を見に行ってはいましたが、部活を引退し久しぶりに会った祖母は衰退しており、余命数か月だろう、、と言われている状況でした。

看護師の仕事をしながら介護をする母の姿を見て、医療の知識が全くない私はなにも手伝うことができず、自分の無力さを実感したのでした。

そんな中、看護師になって祖母のように病気で病める人の力になりたい!と思った私は、祖母に「私、看護師さんになりたい。」と宣言。

そして5年一貫の看護学校に合格!

祖母に合格したと報告した時には泣いて喜んでくれたのを覚えています。

5年一貫看護学生時代

中学を卒業し春休み期間中に、私の祖母は亡くなりました。

病気が分かって最初のころは、余命1年と言われていたのに3年も頑張れたのだそうです。

最初はとても悲しく何をしていても思い出すのは祖母のことばかり、、

でも容赦なく高校入学は迫っていました。

私が進学したのは県内の看護科のある高校の中でもマンモス校。

看護科は200人定員で約半数は寮生でした。

私も寮生として入学し、看護師を目指しました。

看護師になるためには最低でも3年間の基礎勉強、2年間の専門的な学習と毎年決められた実習をしなければなりません。

中でも看護実習が体力的にきつく、毎日の睡眠時間は1~2時間移動中のバスの中でできる程度でした。

ストレスと睡眠不足で実習中に全身に蕁麻疹(じんましん)ができても、先生は優しくしてはくれません。

実習はそのまま行い、放課後皮膚科に行きドクターに言われたのは「実習を休みなさい」でした。

でも実習を休んでしまうと再実習になってしまうんですよね(;^_^A

絶対嫌でそのまま何事もなかったかのように実習に行き、単位をもらった経験もあります。

今考えても看護学生時代は同じ同期の友人や先生たち、親の存在があったから乗り越えられたなあ~と思います。

看護師1~2年目

正看護師になるためには看護師国家試験を受けなければなりません。

看護師国家試験については長くなりそうなので割愛します(⌒∇⌒)

看護師になった私は、学生時代に病院奨学金制度を使っていましたので、その病院に御礼奉公に行かなばなりませんでした。

これが私の今まで生きてきた中で1つ目の谷です。

何県の病院かは伏せますが、鹿児島県からは遠い地方に引っ越しましたので最初は方言でつまづきました。

方言で「これ捨てといて」「これ直して」と簡単なことを言われているのに分からなかったのです。

病棟の中で完全に<扱いづらい子>になってしまった私は、孤立してしまいました。

明日受け持つ患者さんの情報を調べては家に帰り、夜ご飯も食べる気力もないまま勉強し疲れ果てて寝る、、そんな毎日でした。

時にはお風呂にも入らず朝まで寝てしまうのもしばしば(-_-;)

次の日にプリセプター(新人看護師をサポートする先輩看護師)の方にレポートを出してダメだしされて、毎日実習を受けているような感じでした。

唯一患者さんと話をする時間だけが私の楽しみであり、やりがいを感じる時間でした。

新人看護師ですから、患者さんからしたら孫のようで可愛いかったのだと思います。

しかし患者さんに声を掛けられ「あれやってほしい」「これやってほしい」と言われることも多かったので、仕事を済ませるのにかなり時間がかかりました。

そんな私を見て面白くなかったのでしょう。

病棟の看護師、ケアワーカーさんたちから冷たく当たられるようになりました。

分からないことがあって調べても専門書に載っておらず、質問しても教えてはもらえず、無視されたり。

変な噂を立てられたり、、

看護師やめたいな、、でも奨学金が、、返しきるのにあと4年、、

と毎日泣いては目を腫らし仕事に行く毎日でした。

次第に食事がのどを通らなくなり、別の病院で自律神経失調症じりつしんけいしっちょうしょうと診断してもらい、栄養失調で点滴をしてもらったこともあります。

それほど看護師の仕事は責任感も必要でやりがいもありますが、女社会で仕事をすることは簡単ではなかったです。

結果的に私は2年でその職場は退職しました。

今でもここの職場にとらわれず、もっと早く退職してしまえばよかったと思います。

産婦人科で再スタート

地元に帰ってきて何か月間のタイムラグはありましたが、産婦人科の診療所(入院施設あり)で働き始めました。

私が仕事に求めるものは<やりがい>だと感じたからです。

その時の私は少しでも看護師としての自信をつけたかったのです。

産婦人科に就職してからは、助産師さん・看護師さんたちも未熟な私に教育をしてくださいました。

今度こそは前の職場にいた時のようにはなりたくない気持ちでいっぱいだったので、必死に勉強しました。

それが評価され、「あの子はきちんとメモを取って仕事をしている」と先輩方からは可愛がられることができました。

結婚・出産

24歳で結婚、子供が欲しいという願望が強かったのですがなかなか授からず、婦人科に行ってみると「卵巣が腫れていますね」と。

大体、女性の卵巣はその人の親指くらいだと言われています。

私の場合、直径7~8㎝程まで腫れておりチョコレート嚢腫のうしゅ多嚢胞性卵巣たのうほうせいらんそうと診断されました。

簡単に説明すると、子宮内膜症で卵巣の壁が固く肥厚してしまい無理に排卵した際に壁を傷つけ出血が卵巣にたまってしまった状態でした。

そうなると1番怖いのが、卵巣捻転らんそうねんてんです。

卵巣捻転になってしまうとものすごい激痛もそうなのですが、最悪の場合卵巣が壊死えししてしまい、卵巣摘出てきしゅつ、、

そうなると子供を授かることができなくなります。

地に落とされた気分でした。

これが私の人生2度目の<谷底>でした。

不妊治療を行い、どうしても早く子供が欲しくなり先生にもっと強い注射でいいから打ってくれと頼み、そしてやっと排卵してもチョコレート嚢腫が悪化する。

その負のループに入ってしまったのです。

しかし、その頃の自分は私のせいで子供が欲しい夫に子供がいない人生を歩ませてしまうという責任が重くのしかかり、仕事も定時で上がらせてもらったりウォーキングや体重管理にもかなり厳しく取り掛かっていました。

自分で自分を追い込んでしまっていたのです。

私は周りには努力家だと言われ続けてきました。

でもそれがいけなかったのかもしれないと今では思います、、

結果的には私の努力が実ったのか、体外受精もすることなく妊活で子宝に恵まれました。

これについてももっと詳しく記事にしたいと思っています。

今妊活・不妊治療をしている方に私の経験談が少しでも力になればと思います。

幸いにも今では2人の息子に恵まれて、幸せに過ごしています。

最後に

これで私の簡単な自己紹介とさせていただきます。

私はこのブログを通して看護師・妊活・出産・育児・節約術など主に主婦業に関することを発信したいと思っています!

私のことをもっと知りたいと思っていただけたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました(^▽^)

コメント

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